"西蒲原"という愛郷心と"日本海"という国土軸と妄想”鉄”が織りなすことで私が目指すのは”未来のストーリーテラー”

新潟市西蒲区における北国街道の風景 〜山貴、的解釈による北国街道(0)〜

 今回から何回かに分けて北国街道新潟県に関わる北国街道について記していく。

 ちなみに以前、

山貴、が携わってきた諸活動について

 こちらにて「西蒲区北国街道まち歩きガイド」に参加していることを記した。

 ただ私も(2019.7.20現在)本業を持つ身。平日に自主企画をしているためなかなかボランティアガイドに参加できていないジレンマがある。従ってなかなか参加できていない私がいうのもなんだけど、このような雰囲気なんだということをこのエントリーでは記していきたい。

 そこから北国街道のことについて記していく。

岩室温泉

正徳三年(1713)村の庄屋、高島庄右衛門が3日3晩同じ夢をみる。
白髪の老人が枕頭に立ち「村はずれの老松の下の岩石の間に霊泉があり、これに浴すれば、諸病和らぐ」と告げられる。村はずれ一帯を探すと、一羽の傷ついた雁が泉流に浴して傷を癒していた。
これによって源泉が発見されたと伝承され、岩室温泉は「霊雁の湯」と呼ばれていて、「霊雁の湯伝説」と呼ばれている。

が実際は、寛政十二年(1800) の「岩室村明細帳」という報告書によると、温泉地としての営業がおおやけに認められたのが、正徳三年であったと記されていて、その当時役金を上納する「湯組」が37軒あった。

この公認があった年から岩室が温泉地として一層活気づき、その後の発展の出発点となったことを考慮すると、この「霊雁の湯」伝説にはさらなるこの地の繁栄を願う村民の思いが込められていることが伺える。

岩室温泉観光協会HP 並びに 新潟市西蒲区HP より引用した紹介文です。
岩室温泉の源泉公園

 9軒のお宿と各種料理が味わえる料理屋さんがある新潟市の奥座敷である岩室温泉。

 泉質は含硫黄・ナトリウム・カルシウム塩化物温泉であるが入った印象として硫黄の香りがするもののさらっとしている感じのくせの少ない温泉である。

 湯治場はもちろんのこと、北に向かえば新潟湊までの一息場所、南は寺泊・出雲崎まで一息で且つ弥彦神社の参詣道として大いに賑わったということが伺えるそんな落ち着いた温泉地です。

山谷古墳

 北国街道は実は考古香る場所でもある。山谷古墳はどのうちのひとつ。

 弥生〜古墳時代の拠点集落、御井戸遺跡を見下ろす尾根上に立地します。
 4世紀中ごろの造営と推定され新潟県内では、弥彦村の「稲場塚」に次いで古い古墳と考えられます。本古墳は前方部がバチ形に広く前方後方墳で、同形の古墳としては北陸地方2番目の規模をもつ能登半島の「雨の宮1号墳」と墳形が酷似します。墳丘北側には、前期古墳では異例の周堤をもつ堀や造出しを設け、後方部の墳麓に並ぶ2つの小マウンドも特徴的な施設です。
 後方部中央の埋葬施設には、長大な割竹形木棺を用い、遺体は東枕で葬られていました。1983(昭和58)年と1987(同62)年の発掘調査では、墳丘下から軍事的な性格の強い弥生時代の高地性集落が確認され、古墳出現前夜の様相が理解できる重要な遺跡であることもわかりました。 新潟市指定文化財。(個人蔵)

山谷古墳:ニイガタカラnetより引用

 北国街道から入ったところにある。もともと雑木林の中にあったので「よくこんな場所に古墳があったなぁ」と感心した記憶がある。それだけ街道から少し中に入ったところで少し高台にある。

 この地は山谷古墳の前の時代の遺跡が各地にある。実際に立ってみると古代ロマンが香りそうな地でもある。

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稲島宿

 北国街道の宿駅(宿場町と同意味)の稲島宿。現在は角田山登山コースのひとつ「稲島コース」入り口の集落でもある。

 風情漂う集落である。

上堰潟公園

 ラムサール条約指定の佐潟(新潟市西区赤塚地内)の副水域と成している上堰潟。その上堰潟を整備し都市公園化したのがこの上堰潟公園である。

 一周2kmの園内道路はウォーキングなどに活用されていて人の波が絶えない公園でもある。

 見所は春。写真には載せたけど、桜と菜の花のコンストラクトは写真じゃなく是非一度この目で見てください。必見です!

三根山藩址公園

三根山藩址公園 新潟県新潟市西蒲区峰岡地内

 かの小泉元首相が発した「米百俵」、その米百俵の米を送ったのがここ三根山藩である。現在は入徳館野外研修場の一部になっている。 ちなみにここは北国街道から離れているのであくまでおまけ紹介で!(ただしガイドではセットでご案内します。)

 元々長岡藩牧野家の分家のこの藩。当初は万石以下の旗本であったが、幕末に1万石となり大名となることが出来た。北越戊辰戦争の話まで行くと話が長くなるので割愛するが、その当時本家が幕府軍で分家が新政府軍についたのが実際の話のようである。
 それでも本家と完全に袂を分かったわけではなく、本家の命令(脅し?)があったにしろ完全なる家の分断がなかったところに、その時代や家のつながりがを感じさせる歴史ロマンがある。

(この項の)あとがき

 決して有名でなく観光地化もされていない北国街道ですが、回ってみると面白い界隈だということに気づく。

 そんな北国街道、今回は導入として新潟市西蒲区と狭いエリアで紹介という形で記していったが、次回からは私が思う大きな全体像について記して行くことにする。

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