"西蒲原"という愛郷心と"日本海"という国土軸と妄想”鉄”が織りなすことで私が目指すのは”未来のストーリーテラー”

北前船が誕生した経緯についての概略:北前船(前編)

前回までのおさらい

北国街道編

伊夜比古&伊夜比咩編

浄土真宗の蒲原伝播編

 を概略として進めてきた。

 北国街道(3)の時に記した五畿七道も含め古代〜中世に統治機構や人的交流の種が築かれてきた。これを踏まえて江戸時代からの近世において統治機構や人的交流から物流、いわゆる経済活動として物流においてもこの流れが展開されるようになった。

 今回は北前船の話。

食文化は嘘がつけない

 さて私が遡ること十数年前、京都にてサッカー観戦(実はアルビレックス新潟のファンな私)の帰りに四条大橋たもとにある蕎麦屋さんで食したものがある。それは”にしんうどん”なるもの。

ちなみに入ったお店はここ→総本家にしんそば 松葉本店さん

 話は変わりこの間テレビを見ていたら気になる話題が映っていた。それは只見・奥会津地方にある郷土料理のことで、それは「にしんの山椒漬け」というものだ。

福島県の郷土料理-(選定料理)にしんの山椒漬け

家庭で味わう郷土料理百選 より引用

 この時点で「おや??」って思う人は地理に強い人か食に強い人である。

 そう、にしんという魚は主に北海道で漁獲できる魚だからだ。

 つまり京都のような西日本で獲られる魚ではなく、また只見・奥会津のように山間地で獲られる魚ではない。

 あと関西はダシ文化だが、とりわけ関東ではかつおダシがメインの出汁に対して関西では昆布ダシの料理も目立つ。なぜ昆布?なのか・・・。

 これらを繋ぐもの・・・これらこそが北前船がもたらした食文化なのである。まさに食文化は嘘をつくことができない!のである。

北前船はこのようにして生まれた

フロンティア精神の近江商人

 ではその北前船だがどのように生まれたのか!、ざっと概略を記そう。時は戦国時代の晩年で豊臣秀吉が天下統一下あたりまで遡る。

 近江商人たちはその頃畳表や蚊帳など近江の特産品を売りさばいていた。売りさばいた先でそこの土地の特産品を仕入れて、戻った時にそれを売りさばく。仕入れと販売のギャップによる利ざやで近江商人たちは利益を上げていた。

 なお結論から話すとこれが北前船というビジネスモデルが成立したカラクリである。つまり流通会社のモデルを作っただけではなく総合商社のモデルを作ったのである。

 ただこの時代に商圏として広げていたのは関東・・・つまり新開地の江戸だったわけだが、さらなる商圏を広げるために当時は外国とされていた「蝦夷地」に可能性を託した商人がいた。

 今の彦根市柳川を拠点とした建部七郎右衛門と田付新助である。彼らの商品は野菜だったわけだが、その野菜を(当時の蠣崎である)今の松前に売り込んだのだ。

近江商人が北前船の礎を築く

 この2人を先達として湖東の薩摩(彦根市)と八幡(近江八幡市)から続々とフロンティアを目指した商人が現れた。(現・近江八幡市)柳川の岡田弥三右衛門や西川伝兵衛(現・京都西川の先祖)などである。彼らは(当時の蠣崎<かきざき>である)今の松前商圏を手に入れたばかりでなく、小樽などにも拠点を持つことができた。

 彼らは蝦夷地で何を求めたか・・・というものが前出のニシンや昆布などの海産物である。自分たちの商品を蝦夷地で販売し、蝦夷地で海産物を仕入れて関西圏で海産物を販売する。そのために海産物供給地も近江商人たちが作った。そのようにして安定的に物流を行うことができた。

 その近江商人たちが基地とした場所が近江から一番近い日本海から琵琶湖までもっとも近い都市である敦賀が物資の一大拠点を築くこととなる。

そして北前船の誕生へ

 さて17世紀中盤になると道川<どのかわ>三郎右衛門や高島屋伝右衛門などの豪商もいたという。その高島屋は海運業のほか加賀藩米のを取り扱っていた。そのことから加賀藩米は彼らによって大坂まで届けられることとなった。 

 しかし17世紀後半になると加賀藩はこの物流経路に少々難点があることに気づく。敦賀から陸路に載せ替え、また琵琶湖畔で船に積み替え、大津でまた陸路・・・となると時間とコストがかかってしまうことであった。
 そこで加賀藩は寛永16年(AD.1639)に百石の米を試験的に関門海峡経由で大坂(大阪)に回漕した。その結果加賀藩は近江商人ルートから大坂・上方の船を雇って本格的な蔵米回漕を始めたのだ!

 また庄内からの幕府米を天下の台所大坂(大阪)や政治の中心地江戸に運ぶために寛文12年(AD.1672)に河村瑞賢により西廻り航路が開拓された。

 このように米の物流関係は関門海峡ルートが使われ流ようになり敦賀の陸揚げが少なくなったため敦賀の勢いがなくなった・・・と思いきや、影響したのは米だけで松前との交易品が寸断されたわけではなかった。いやむしろ商品の取り扱いが急増したのだ。

 そこで近江商人たちは共同で船を雇い松前の商品を海運にて商売し始めた。船を購入したことで馬場いの利ざやだけでなく運賃も自分たちの粗利益確保ができるようになった。

 そして時代は経つとその船乗りたちがビジネスモデルを学び、近江商人たちの支配から独立することができたのである。これが北前船誕生の概略である。


 (後書き)
 今回のエントリーは以上である。後半は北前船雑感を記してみたい、では。

 (参考資料)

北前船寄港地ガイド(加藤貞仁・著:鐙啓記・写真:無名舎出版)

上記の本の前に編纂した、上記の本の元となった本がこちら。内容は一緒です。

北前船 寄港地と交易の物語(加藤貞仁・著:鐙啓記・写真:無名舎出版)
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