"西蒲原"という愛郷心と"日本海"という国土軸と妄想”鉄”が織りなすことで私が目指すのは”未来のストーリーテラー”

北陸道を古代の枠組みからみる〜山貴、的解釈による北国街道(3)〜

前回、北国街道を検索すると「2つの街道」がヒットするという言い方をした。善光寺街道と北陸道である。

 そして狭義の上での北国街道は善光寺街道だと前回記した。江戸から善光寺詣に使われ、佐渡金銀山で産出された金銀を出雲崎湊で積み替えして江戸に運んだ重要な脇往還であったとも記した。
 しかしながら鳥居本宿から越前方面に伸びた北陸道もこれまた北国街道なのである。今回はその北陸道由来の北国街道の話を記す。

北陸道は中山道鳥居本宿から越後高田へ通じる道。織田信長が越後征伐に向かった道であったり、各藩の参勤交代で使用した道であったり、加賀百万石のお膝元である金沢を通る道など主要街道であったことは言うまでもない。その流れの実績として現在国道8号が存在していることから容易に想像できる。

 さて北陸道・・・といえば現在では北陸自動車道をイメージするかと思う。米原ジャンクションから敦賀・福井・金沢・高岡・富山・上越・長岡を経て新潟へ繋ぐ高速道路だ。ただ昨今の若年中年層からこう思うかもしれない。

新潟県を通るのに「なぜ北陸?」と。

今回はその話。

越後である今の新潟県は一体何地方?

 新潟県は何地方とよくネタにされることがある。

  • 電気は東北電力
  • ガスは北陸ガス
  • 経産省は関東経産局
  • 環境省も関東地方扱い
  • 国土交通省は北陸地方整備局
  • 総務省特に通信関係は長野と一緒で信越総合通信局
  • 旧郵政事業も信越地方として取り扱われる
  • ただNHKは甲信越地方
  • でも地図に直すと中部地方に属されているのがほとんど・・・。

 これだけあったらほんと何地方かわからない。

 新潟県人は東京の人から頼まれたらすっ飛んで行く・・・というような言葉を聞いたことあるほど新潟県人は東京に憧れを持っていたりコンプレックスを持っている関係上から関東側と親和性を図りたいイメージを持っている。
 また東京とは上越新幹線で繋がっており、東北の仙台や北陸の金沢とは繋がりがあまり持てていない印象がある。

 なので関東甲信越と関東を物故見たくなる気持ちの人が多い。その気持ちはわからんわけではない(笑)・・・が、やはり違和感がある。

 では一体何地方なのか・・・と言ってもその答えを導く術はないのだが、ただ歴史的な古代背景からすれば現代生活で一番縁のない北陸地方なのである・・・と言うだろうなぁきっと。

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北陸道

 さて今まで話をしてきた北国街道の北陸道という単語、実は2つの意味がある。

  • 北国街道・・・つまり道としての北陸道
  • 行政区分としての北陸道

前回は前者、つまり道としての北陸道を意味してきたのだが、道として成り立つためには行政区分としての北陸道という考え方が必要である。その考え方の元となったのが「五畿七道」である

五畿七道

 五畿七道とは古代日本における律令制化の地域行政区分。
 飛鳥奈良など政治の中心地付近である五畿と地方の行政区分と路(みち)である七道からなる
 この考え方は明治時代まで続いて、明治の頃は北海道も含めた五畿八道と呼ばれていた。

 北陸道はその七道のひとつであり当初は若狭と越からなりたっていた。越はその後越前・越中・越後に分かれ、越前は加賀・能登と3分割され、越中・越後は再編成され、佐渡が加わり最終的には6国を形成していた。ちなみにそれらの国を結ぶ京都へ通じる小路が道としての北陸道の原型なのである。

 その北限が最終的には鼠ヶ関まで及んだ。なお以北は北陸道越後国所属の出羽郡から出羽国として独立をし東山道出羽国となったわけである。

 またこのことから実は当時の政権が北の方まで勢力を狙いに行くときに新潟湊近くにあった「渟足柵(ぬたりのき)」が北限だった時期があったこと、またその北にあった「都岐沙羅柵(つきさらのき・他)」までが北限だった時期があったこと、その後に鼠ヶ関までが最終的な北陸道の北限となった。

(そこで前回のエントリーをふまえて余談)

 前回このように定義をした。
 しかし歴史的な背景を近世近代から古代近くまで遡ると・・・

 となるため、近世近代の街道と古代の小路がほぼあっていることがわかる。

 そこから考えられるのは明治時代まで北陸地方という括りも残っていたのは五畿七道由来であったことからすると、街道名は好きに呼んだらいいというのは決して証拠を探すのが面倒臭い事ではなく、古代の頃よりあった行政区分の質を見ればそれだけで名称はいらないということになるということが言いたかったことです。

 まぁそれでもやはり統一したいのなら北陸道か北国街道がいいのではないだろうか・・・?とは思っております。

五畿七道と善光寺街道から学ぶこと

 今回の4回ほど北国街道のエントリーを行ったが、これらから善光寺街道は江戸へ・北陸道(北陸街道)からは京・大坂へという交通の流れがわかった。

 したがってこの話題を取り上げたのは「新潟は何地方なのか?」という論争は実は不毛で、様々な日本各地を結びつけて交流することの大切さを再認識することがここで必要なのではないか?ということを提起したかったのである。駆け足程度だったので伝わらなかったのなら私の実力不足ということになるのだが。

 それを図に直すとこうである。

 それを少しフランクに言えば

 「東京ばっかに目を向けていないで、もうちょっと北陸と仲良くしようぜ!」

 ・・・いや違うな、こうだな!

 「東京ばっかに目を向けていないで、北陸とちょっと仲良くなって、さらに京都・大阪ともっと仲良くしようぜ!」

 ということになる。

 以上で北国街道について簡単なエントリーをしたが、これをエントリーしたのには訳があって・・・次は北国街道延長戦として ”とあること” を取り上げてみたい。

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